
江津市の国道9号線を走っていると都野津町の海側に大きな建物と『永島青果』の文字が見えてくる。
地元や全国から野菜や果物を仕入れ、県内・全国・世界に向けて卸業を営んでいる株式会社永島青果の
本社だ。
「生まれ育った江津市を何とかしたい。」
そのためには、雇用を生まなければならないと日々産業作りに邁進している熱い男がいる。
永島青果の社長、永島孝さんだ。
生産・加工・販売の一貫体制!国内〜海外市場へ!-【永島青果】
永島青果では、野菜・果物の卸だけでなく、自社農園の運営を進めている。
従来は県外産の取扱いが多かったが、地元に遊休地が余っているという問題や消費者の安心・安全と
いったニーズにこたえるためにと自社で「夢ファーム井沢の郷 」をたちあげ、ハウスで野菜栽培をしている。自社のブランド商品を地元で栽培しつくりだすことで、地域やお客様に貢献したい。
本社横には子会社の「有限会社グリーンフレッシュ」があり、ここでは、新鮮な野菜をカット野菜にして様々なところへ卸している。時代のニーズにマッチしたカット野菜は人気だ。
現在、日本海を隔てたロシアでは好景気にわいている。ロシアでは、安心・安全な野菜のニーズが高まっており、日本の野菜への関心が高い。
永島青果では、これをチャンスととらえ、現在ロシアへの貿易を行っている。
卸だけでなく、生産、加工、販売の一貫体制をとり、市場をロシアにまで広げた永島青果の挑戦ははじまったばかりだ。
『旬』を365日、毎日そろえる-【永島青果】
「お客様が喜ぶことをしないといけない!」
という永島さん。
永島青果では、365日欠かすことなく旬の野菜や果物が手に入る。そのために北は北海道の旬のじゃがいもから南は沖縄のパイナップルまであらゆるところから取引できる。
「値段なんて二の次。喜ばれることをしなきゃいけない」と地物があるときは、旬の地元野菜を仕入れる。地元のお客様は、「やっぱり地元のがいいわ。旬のものがいいわ!」と新鮮な地物野菜を喜んで買っていただける。
「人との出会い」と「裏切らないこと」を大切にし、「人に儲けてもらってはじめて自分も儲かることができる」という信念をもって取引をする中で、「お宅だったら取引しても大丈夫だ」と自然と取引の輪が広がった。
今では、大手でも手に入らない商材も永島青果さんだったらといわれるほど信頼関係を築いている。
はじまりは行商-【永島青果】
江津市の人で「永島青果」と聞かれて知らない人はほとんどいない。それほどたくさんのスーパーなどに卸されているし、様々な先進的な活動をされている。
しかし、この会社がもともとは行商からはじまり、
永島さんの一代で成したことはさほど知られていない。
時は昭和43年。
トヨペットでサラリーマンをしていた永島さんは、
朝4時から桜江町や江の川で野菜を仕入れ隣の
浜田市の駅前で野菜売りの行商をする生活を続けていた。
サラリーマンの月収が\28,000円の頃、1日に野菜売りで\25,000は稼いだという。
行商が終わってから江津に帰り、着替えてからまた浜田の職場に行く日々を続けた。
石の上にも3年という言葉があるように、何事もそのくらい時間をかけないと得るものがない。
サラリーマンは辞めずに朝早くから2つの仕事をする生活を続けた。
その後、県外に出て車関係の仕事につく。業務に対しての経験がなかったため、人より早く来て掃除や準備をし、人より遅くまで努力をしたという。中には「生意気だ!」とやられることもあったが、自分の正しいと思う考えと行動は曲げなかった。
その後、実家の酒屋を手伝うこととなり江津へ帰郷。家の商売を手伝った後、昭和54年に江津市内にて野菜や果物などの農産物を扱う青果問屋として有限会社永島青果を設立。
「本気で集中しないと人は相手にしない。」、「苦労すれば喜ぶ時が想像できる」、「厳しさは人を育てる」と
語る永島さん。様々な経験から生まれる言葉には重みがある。
1人では1馬力-【永島青果】
「1人が動いても1馬力にしかならない」
と自分をかわいがってくれた人に何度も言われたことがあると永島さんはいう。
その教えもあり、「企業人たるもの人を雇わないといけない! 」、「雇用することが地域への最大の貢献」、「儲けが出た分は人を雇おう 」と考えるようになったそうだ。
人があってこその商売。地域が、そこに住む人が元気でなければ、自社もまた元気にはなれない。
「このままでは田舎は、江津は潰れてしまう!」「皆でよくなる、地域がよくなることを真剣に考えないといけない。」と自社のことだけでなく、従業員の方々や地域の方々、行政のことまで様々なことを考え、何か自分にできることはないかと行動されている永島さん。
「私は、生まれながらにして皆さんに孝行するためにあるからね。」と笑いながら『永島 孝』と書かれた名刺を指差した。
永島青果では、常に新たな産業を考え、作り出し、今でも地域に雇用の場を作り続けている。
加工、生産、輸出へ進出-【永島青果】
永島青果の隣に子会社である有限会社グリーン
フレッシュがある。
平成12年に設立された、カット野菜を製造する工場だ。地元・全国からとりよせた野菜を新鮮な状態で
カットして加工品として卸している。
この工場は、バブル崩壊後の不景気で失業率が高くなった江津市で、なんとか地域の方々の雇用の場を
増やしたいという思いから設立された。
カット野菜は、今では「使いやすい!」「便利!」と市場ニーズが高い商品だが、設立当時はカット野菜のニーズは未知数だった。
今では人気の商材だが、雇用対策で作った野菜加工場がたまたま時代のニーズにあっただけと永島さんはいう。
平成17年には、江津市の協力もあり企業として農業に参入。地元の中産間地の遊休地の解消、お客様に自分達が直接育てた安心、安全な農産物をお届けすること、自社生産をすることにより野菜の安定供給の実現を目指している。約1ヘクタールの自社農園では、ビニールハウス20棟で葉ねぎ、ほうれんそう、小松菜等の葉物野菜や玉葱、とうもろこし等の露地栽培も行う。
平成19年には、江津市の認定農業者、島根県からはエコファーマーに認定された。これからの課題は、直営農場による野菜の周年生産の実現。周年生産が可能にして販売を軌道にのせたい考えだ。
平成20年には、好景気に沸くロシア市場に野菜を輸出している。益田市産のアムスメロンや鳥取産のスイカなど山陰両県の農産物をはじめ、ジャガイモ、タマネギなど永島青果が取り寄せた野菜・果物を冷蔵機能のあるコンテナで輸出する。ウラジオストクのスーパーの店頭に並ぶ予定だ。
「生まれ育った江津のために、ご縁をもった方々のためにこれからも地域が発展できることをしたい」と世界地図を前に永島さんは笑った。
共々に成長したい-【永島青果】
「自分がすることはできるだけ従業員に任せる。」
という永島さん。
自分がすればすぐにできて効率も良いがそれでは人が育たない。
仕事をあえて従業員に任せて見守ることで従業員の方に成長してもらう考えだ。
「従業員の皆さんが集中して仕事に励んでもらいたい」と考える永島さん。
従業員の方で家族間で問題が起これば、時には家までいってその解決のお手伝いをするそうだ。
「家族の支えがあるから仕事ができる。1人を雇うことは、その背景にある家族も雇っているんだ。」とのこと。
取材が終わったのは、15時過ぎだったが、これからお昼ご飯とのことだった。たまたま遅いのかと思いきやいつも14時以降に食べられるそうだ。
「働いている皆より先に食べるなんて皆に申し訳なくてね。」と照れ笑いをされていた。
少し前までは永島さん自ら従業員の皆さんの昼食を作っていたそうだ。
人によって支えられる商売。
永島さんの根底に流れるのは感謝の念だった。
永島青果で働きませんか?

