田舎の暮らし紹介
江津市に実際にUIターンして暮らされている方々を紹介いたします。
60代になって夫婦揃って江津市に定住された竹内さん
あこがれていた林業に!家族3人での定住
遠くイギリスのウェールズ、京の都から桜江町に根付いた夫婦
東京からIターンされた伊賀さん。住まいを安くリフォーム
『年をとったらいつかは田舎で暮らしたい』という想いが実現!!【竹内 正敏・昌子 ご夫妻】現住所:桜江町鹿賀/U・Iターン日:平成19年2月1日 ○江戸っ子 竹内正敏さんは、東京の下町神田生まれの江戸っ子です。昌子さんは東京の中野生まれで、ご夫妻は東京生まれ、東京育ちです。 ご夫妻は、東京都日野市に住んでいて、正敏さんはテニスのインストラクターの仕事をしていたそうです。テニスやスキーが大好きなスポーツマンです。 そんなご夫妻は、50歳を過ぎた頃から、『年をとったらいつかは田舎で暮らしたい』と想うようになってきたそうです。と云うのも、正敏さんは、戦時中に長野県へ疎開していて、農業をしたり、農業高校へ通っていた頃の影響があるようです。 ○出会いは何気なく 5年ほど前から具体的に田舎暮らし先を探し始めました。東京から近い福島・新潟・長野・静岡に足を運び、いろいろ物件等を探したそうです。 スキーが大好きな正敏さんは、新潟を中心に田舎探しをました。しかし、昌子さんは雪のことを考えたら、新潟、福島や長野は考えられないと大反対。 静岡は、何処も彼処もお茶畑で、たまたまご夫妻が訪ねた時にお茶畑の農薬散布をしていて、農薬まみれになったそうで、やめたそうです。 そんなある日、何気なく田舎暮らしの本を読んでいたら、江津市桜江町でUIターン等の支援活動をしているNPO法人結まーるプラスの記事が目に入り、何気なく電話をかけると、「物件があるので見に来てください。」と説明され江津市桜江町へ物件を見に行く事になりました。 ○一目で気に入りました! 平成18年11月、広島空港からバスを乗り継ぎ浜田自動車道旭インターで下車し、タクシーで桜江町へ向かいました。東京からは長い長い旅でした。ご夫妻は未だ見ぬ桜江町へ想いを馳せながら車窓の景色を眺めていました。晩秋の中国山地に点々と映える石州瓦と漆喰壁の家の風景の美しさにいつしか酔いしれていました。桜江町鹿賀の家を案内され、その家を管理している方やNPOの担当者の人の良さと、田の字型の母屋、土間、土蔵のある家、家から見える景色の素晴らしさにご夫妻はすっかり気に入ってしまい、その日のうちに『買う』という決断をしました。 ○自分で作ったものを食べる 一目で気に入ってその日に買う決断をしたご夫妻は、3ヵ月後の平成19年2月1日に桜江町鹿賀へ引っ越ししました。 昌子さんは、『何で寒い時期に引越しをするのか・・』と気乗りしなかったそうですが、正敏さんは、『畑をするには2月に行かないとダメだから!』と引越しを断行したそうです。 現在竹内さんの家の裏の畑には、ジャガイモ、レタス、キャベツ、春菊、ナス、大根、トマト、小松菜・・等野菜がたくさん育っています。 春菊は、地元の人は秋に植えるそうですが、ご夫妻は『春菊』と言うので春に植えてみたら、とても美味しかったと大満足そうでした。自分で作った野菜は新鮮でとても美味しいと収穫の喜びをかみしめておられました。 ○理想の暮らし ご夫妻は、地元のテニスサークルに入って趣味のテニスを楽しんだり、畑仕事をしたりしながら毎日を暮らしています。 ご夫妻の桜江町での暮らしは・・ 正敏さんは、東京では生臭くて食べられなかったサバが、美味しく食べることができたそうで、その他の魚も新鮮で美味しいとびっくりされたそうです。 敬川饅頭が大好物。東京でたくさん美味しいお菓子を食べてきたけど、敬川饅頭は素朴な中にもしっかりした味があり絶品と大絶賛でした。 桜江町鹿賀の集落の方は、さりげなく野菜やお花を届けてくれて、皆さん親切で生活を楽しんでいて心の豊かさを感じたそうです。また、集落の人が協働で行う草刈や掃除の習慣があり、とても素晴らしく胸を打たれたそうです。 奥さんは、近所の方から「色々な集まりやサークルがあるが、最初から入らずに見学をさせてもらって、気に入ったものに入ると良いよ」とアドバイスしてもらい、ゆっくりと地元の人の輪に馴染みつつあると話されました。 桜江町へIターンして4ヶ月が経ち、今の暮らしが理想どおりの暮らしと笑顔の正敏さんと買い物の不便さ等があり100%ではないがだんだんと理想に近づいていると昌子さんは理想の田舎暮らしを手に入れられたようです。 最後に正敏さんが『もっと若い時に来たかった・・』 本当に今の暮らしが楽しいんだなーっと感じました。 |
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江の川の雄大な流れと中国山地に抱かれた桜江町大貫地区に 林業を志す青年とご家族がIターンして来られました。 【吉田さんご家族】現住所:江津市桜江町大貫/Iターン日:平成19年3月 江の川の雄大な流れと中国山地に抱かれた桜江町大貫地区に林業を志す青年とご家族がIターンして来られました。吉田渉(わたる)さんと妻のかおるさん、娘のあおいちゃん、ペットで犬の蓮(レン)くん家族です。 ○生い立ち 渉さんは、島根県大田市で生まれ、すぐに奈良県奈良市へ引越し、高校卒業まで暮らしました。その後、京都市内の大学へ進学。 かおるさんは、兵庫県加西市で生まれ育ち、京都の大学へ進学しました。 そんなお二人は、バレーボールクラブで出会いました。かおるさんはマネージャーで、渉さんはプレーヤー。クラブ活動を通じて、いつしかお付き合いするようになりました。 かおるさんは2年先に卒業し、京都市内の老人ホームに就職。2年間勤めた後、実家のある兵庫県加西市の会社へ転職しました。 渉さんは、自然が好きだったので、大学時代から花屋でアルバイトをしていて、卒業後も花屋に就職しました。 渉さんが就職した頃、かおるさんは兵庫県加西市で仕事をしていたので、遠距離恋愛となりましたが、お互いの気持ちは変わることなく、4年後にめでたく結婚。 結婚2年目に、愛娘のあおいちゃんが生まれました。これで、結婚前から飼っているペットで犬の蓮くんと、3人と1匹の家族になりました。 花屋の仕事は、想像以上に忙しく、大変でした。休日は週に1日、正月・母の日・お盆・クリスマス等々休日や行事のある日は全て仕事です。特に母の日は朝6時まで徹夜で仕事をして帰ってきて、またその日の朝に出勤するということもありました。 家族で出かける事は出来ず、あおいちゃんとは出勤前の十数分しか過ごせない状況でした。 そんな毎日を暮らしていたとき、いつかは家族で花屋を持とうという話をした事もありましたが、かおるさんは花が苦手なので・・・、「どーしようかなーっ」と考えてもいました。 また冗談で、「どこか遠い所へ行くのもいいな」と2人で話したりもしましたが、具体的には何も考えは浮かばず、「何となく転職したい・・・」 ○トントン拍子 ついに渉さんは花屋を辞める決意をし、平成19年1月で辞めました。 かおるさんは、家族の時間が無いほど仕事に追われて、頑張ってきた渉さんを間近で支えていたので、渉さんが辞めると言った時も「そう」と素直に受け止めました。 次の仕事を決めずに辞めた渉さんは、早速就職活動をする事に。花屋とは違う仕事がしたいと思っていたとき、ふっと高校生時代のことを思い出しました。 高校生の時に、自然と関わる仕事に就きたいと思い、レンジャー関係の専門学校を受験しようとしましたが、先生等に反対され断念した事がありました。 そんな事を思い出して「林業がいいな・・・」と思いました。その事をかおるさんに話してみると、「別にいいよ!」と理解してくれました。 就職先を林業系に決めて、インターネットで調べてみると、1週間後の1月末に大阪で林業関係の全国ガイダンスがあることが分かり、早速家族で行ってみることに。 会場では、若い人から年配の人まで沢山の人がガイダンスに参加していて、「こんなに林業を志す人が居るのかーっ」とビックリしました。 ガイダンスでは、「緑の雇用」という制度を利用して、実際に林業に携わっている人の話を聞き、林業の仕事が楽しくてやりがいがある、という思いが伝わってきました。 会場には、県単位でブースがあり、京都・兵庫・和歌山・奈良・島根のブースに行き、中でも和歌山と島根が積極的で、いろいろ話を聞くことができました。 林業に携わるためには、チェーンソーと刈払機(草刈機)の資格が必要です。その資格取得の講習会が島根県は2月10日で一番早かったので、とにかく資格を取ろうということに。すると、その講習会の前に出雲で就職説明会があるという事も分かり、合わせて参加する事にしました。 出雲での就職説明会で、渉さんは江津市桜江町の千代延林業と出会いました。 千代延林業の担当者は、大阪から妻子を連れてIターンしている方で、同じ関西人で境遇が似ている事もあり、共感できました。いろいろ話をしていて、担当者の人柄にも惚れ込んでしまい、千代延林業で働こうと決めました。 すると担当の方から、「面接してみる?」との言葉があり、即座に面接を申し込みました。 京都に帰り、かおるさんに就職説明会の事と千代延林業で働きたいという事を話すと、すぐに理解してくれました。 花屋を辞めた時に、「今度は田舎に住む事になるだろうから、車を持たないと生活できない」と考え、車を買う契約をしていた渉さん。2月7日の納車日に新しい車で、京都から桜江町に千代延林業の面接を受けに来ました。 千代延林業の社長さんとの面接では、「吉田さんしだいだよ」と言われ、林業の作業現場も見せてもらいました。渉さんにとって林業の現場を見るのは生まれて初めてでしたが、「自分にも出来る!」と思い、絶対に千代延林業に就職したいと決意しました。 現場見学の帰り道、 社長 「4月から来るか?」 渉さん 「ハイ!お願いします!!」 ○あこがれの山師に!! 採用決定を胸に、2月10日からの講習を受けました。 講習には大田市の渉さんの祖母の家から通い、その合間をぬって桜江町大貫周辺で家探しをしましたが、なかなか借りられる家が見つからず、講習期間は2週間、あせりを感じながら、千代延林業の社長さんに相談したりと探し回りました。 講習終了日に、たまたま千代延林業の社長さんの知り合いの方の家を貸してもらえる事になり、ついに家を借りる事が出来たのでした。 平成19年3月20日に京都から桜江町大貫に家族で引っ越してきました。 渉さんはついに山師となり、4月1日から仕事が始まりました。最初の1ヶ月は死ぬほどきつかったと振り返ります。毎日が筋肉痛で体中が悲鳴を上げていました。大学時代はバレーの合宿で厳しい練習に耐え、花屋で毎日十数時間も立ち仕事をしていた経験もあったので、体力仕事には自信があった渉さんですが、その自信はものの見事に打ち砕かれました。あまりの厳しさに、いつまで筋肉痛が続くのかと、ため息まじりの渉さん。 そんな日々が過ぎ去ったある日、腕や足や背中に筋肉が付いてきて、日焼けもして逞しくなってきている自分に気づきました。京都に居た頃は、鉄アレイで筋トレをしていた事と比べ、「仕事をしながら筋トレができる、一石二鳥ではないか!」日々自分の身体に筋肉が付き、逞しくなっていくのが嬉しくてたまりませんでした。 林業は、自然が相手なので、朝から夕方まで、晴れた日に仕事をします。少々の雨なら仕事をします。山の中の急な斜面を機材を担いで登り、木を切ったり、草を刈ったりします。尾根から谷を越えて尾根へ山の中を歩き回り作業をします。 ヘルメットを被り長袖長ズボンに手袋をし、チェーンソーを持っての仕事は想像以上に暑く過酷でした。春先は2リットルのペットボトルに水を入れて持って行っていましたが、猛暑・酷暑だった今年の夏は、一日6リットル以上の水を用意し水分補給をしながらの仕事でした。 ○不便さよりも良い事だらけ!! 現在、かおるさんは川本で仕事をしていて、あおいちゃんは、谷住郷保育所に通っています。 渉さんは午後6時半には帰宅、週休2日なので家族と過ごす時間が増え、かおるさんと一緒にあおいちゃんの成長を見守る事ができます。あおいちゃんはちょうど言葉を覚える頃で、外にいる渉さんに「パパ、早く中に入りんしゃい!」と早くも石見弁を話し、聞いた2人は思わず大笑い。 家の前には畑があり、スイカ・カボチャ・イトウリ・トマト・ナス・ネギ等を作っています。近所の方々にはいろいろな野菜をいただいたり、とてもかわいがってもらっています。 自然が豊かで川も近くにあり、魚釣りも楽しんでいます。自分で釣った魚や、家の畑で取れた野菜を食べて、半自給自足の暮らしができる事がとっても楽しい事です。 買い物は週に1度江津市街や浜田へ行き、まとめ買いをします。「チョット遠い・・・ガソリン代が・・・」 インターネット環境が悪く、実家に画像を送るのが困難・・・「郵送にします・・・」 かおるさんは虫が嫌いなので、家の中でヤモリやクモ、ムカデ、ゴキブリが出没すると大騒ぎになります。 「不便な事もあります。でも、そんな不便さを吹き飛ばすほど良い事がたくさんある桜江町大貫の暮らしが好きです。」 ○桜江町大貫で暮らしていこう! 千代延林業では、現在7人の従業員が居てそのうち5人がIターン者です。渉さんが京都から、その他に石川・大阪・広島・山口からのIターン者です。平均年齢は32歳と若く、元気な職場です。 仕事を始めて約半年、渉さんは仕事に行くたびに、先輩がカッコ良く見えます。先輩の林業に関する知識の深さ、仕事の速さ、経験・・その全てがカッコ良いんです。 林業は、木を切る事一つをとっても、どの木を切るのか、木の切り方、切り倒す方向などや草刈り、山から谷へのワイヤー張り等々一人前になるには少なくとも20年は掛かるそうです。 「今は、知らない事だらけです。早く一人前の山師になりたい。」 渉さんとかおるさんの夢は、桜江町大貫に自分達の家を持つ事です。近所の方々は本当に良くしてくださり、可愛がってくれます。この桜江町大貫で、自分達も近所の方々に何らかの形で恩返ししながら一緒に暮らして行きたいと思っています。 「桜江町大貫で暮らしていこう!」そう決意しました。 |
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【ジェイクさん・洋子さんご夫婦】現住所:江津市桜江町/Iターン日:平成12年 ○イギリス・京都から桜江町へ 江津から桜江町に向かって261号線を走ると桜江大橋の前にガソリンスタンドがある。そこから少し奥に入ったところに古い家がある。ジェイクさんと洋子さんご夫婦の家だ。 家の前には材木がたくさんつんであり、自分達の手で色々と家をリフォームしていることが伺える。玄関を上がるとジェイクさんそっくりの人形と画家であるジェイクさんが描かれた絵画が迎えてくれた。 「どうぞ〜」と奥さんに声をかけられ上がると立派なひげを蓄え甚平を着たジェイクさんと美しい奥さんがいらっしゃった。 ○桜江町での暮らし ジェイクさんの出身は、イギリスのウェールズ。 曼荼羅画家、英会話講師として活躍されており現在、桜江町で芸術活動をしながら地域で英会話講師をしている。 その他にも本の書評や外国の方に本当の日本を知って頂くツアーガイドもされている。 芸術方面では、地域の伝統芸能である石見神楽の面作りもされており、窓際にはたくさんの石見神楽の 面がところ狭しと並べられていた。 ジェイクさんはネットで桑茶、竹とんぼ、神楽の笛などを紹介して販売しており、神楽の動画をYOU TUBEに投稿するなどネットを使った情報発信も行っている。 「ネットがなければ仕事もなかったし、ここにはこれなかった!」とジェイクさん。田舎だけどネットが使えるというのが最高に良かったそうだ。洋子さんも買物はネットでして宅配してもらったら重たいものをもって運ばなくてもいいし、本当に田舎に住まない理由がない!とのこと。 洋子さんは、自宅で英会話教室を開き、得意なクラフトで地元の自然素材を使った作品作りをされている。 ご夫婦共にものづくりが好きで芸術活動を 楽しみながら、日々を暮らしている。 大自然の中で畑を耕し有機栽培で野菜を育て、庭にはチャボを20羽飼っており、卵はみなこのチャボから 頂き、あまったら売る。なんでも、ジェイクさんはチャボの鳴き方で「今卵を産んでいる!」ということがわかるそうで、そんな話を聞くと自然の営みの中であるがままに暮らすからこそわかるのだろうかとふと思う。 ○桜江町にIターンしたきっかけ ジェイクさんが日本に来たのは2000年。最初は、洋子さんが住んでいた京都の祇園で暮らしていたが、 「静かで落ち着いた環境で絵を描きたい!」と都会暮らしがあわず田舎暮らしをしたいと考えていたそうだ。ちょうどその時に桜江町の田舎暮らしツアーに参加していた友達から「桜江町がよかったよ」という話を聞き、すぐに桜江町を訪れることにしたそうだ。 農村の風景が広がり、雄大な川が流れる自然豊かな桜江町。 一目で気に入ったジェイクさんと洋子さんは、「ここに住みたい!」強く思い、すぐに空き家物件を探し、空いている古民家を見つけた。 ○空き家との出会い 見つけた物件は、土地の広さは40坪ほどで、築50年の家。家の梁や柱は昔小学校で使われていた100年もの。壁に穴があいたり、床がぶよぶよだったりとリフォームが必要なところはたくさんあったが、65万円という破格の金額だった。 ジェイクさんと洋子さんは、この家を買うことを 決めた。念願の田舎暮らしと空き家を手に入れたとき、ジェイクさんは喜びでいっぱいで、畑の 真ん中で友達に電話をして自慢をしたそうだ。 電話の向こうでは、「わ〜!」という歓声と 「うらやましい!」という歓声があがった。 日本人からすると田舎のしかも古くてリフォームがいる空き家は倦厭されるかもしれないが、ヨーロッパでは最高の物件だそうだ。 日本で田舎暮らしというと、300万の物件からでもあるが、ヨーロッパでは、安くても6000万からだそうだ。 イギリスをはじめ、ヨーロッパでは、田舎の家の方が都会の家よりも高い。人生を豊かに生きたい富裕層が田舎の物件をおさえているため、田舎の家は高く、お金のない人はしぶしぶ都会の家を買う。都会の家は、人気がなく、2000万からあるとのことだった。 また、古い家の方が価値のあるものと考えられている。1回建てたら200年以上はもつヨーロッパの建物からすると、100年ものの家なんて新しい新参者程度だとのこと。むしろ、600年もの歴史がある方がそれだけの年月を耐えるすばらしい家として評価され、より高い価値を持つそうだ。 数百年に渡って暮らしていくからこそ、家のあちこちに手を加えることが当たり前で、ヨーロッパでは、自分達でリフォームすることは当たり前。日本のようにお金を払って業者にしてもらうということはほとんどなく、業者に頼むのはよっぽどの金持ちかずぼらな人だとジェイクさんは笑う。 その分、ヨーロッパではリフォーム用の道具や部品、材料が安くて豊富に売られているそうだ。このような 文化があるからこそ「リフォームが必要な家」=「自分達で自由に家を作り変えられる最高の家」ということで古くてリフォームが必要な家は最高の楽しみがある家だそうだ。ジェイクさんの家は、古くない家に住んでいる日本人からすると床はぶにょぶにょとしているし、家は傾いて障子も日によってしまったりしまらなかったりするなど「大丈夫だろうか・・」と思うことが色々あるが、ジェイクさんは「直せばいいだけだから簡単なこと」「昔の家は、木、しっくい、土、ワラ、竹でできているからここらへんのものですぐ直せるよ!」「自然のものだから傾いて当然。ピサの斜塔みたいなもの(笑)」とまったく意に介していない。 洋子さんも
「今の家は直さないといけないけど、それは直したらどうにかなる不満なので気に入っている。 例えば、天井に断熱材を入れたらすごくあたたかくなった。ささいなことでよくなっていく家が好き!」とまったくもって気にしていない。 「今度、ここと向こうをつなげようと思うの」と指差した先は、階段の下にある壁。「土壁だからハンマーで叩けば崩れて向こうとつながるわ」と聞いた時には、家に対する無限の可能性を感じた。 ジェイクさんと洋子さんは地元の林業の会社に行き安く木を購入したり、廃材を利用して自分達でリフォームをしている。 柱には美しいお皿がいくつも飾られ、洗面所はポルトガルのものなど楽しく自由にリフォームされていく家はどんどん変化していっている。 現在、2階も改装中で、1日1組だけの宿泊部屋をつくりたいとのことだった。今までのリフォーム代金は、工具代と薪ストーブなど家具の購入費で100万くらい。床、壁、洗面所、家具、2階とかなりの部分を直してもそれくらいでおさえられているから凄い。 本当に楽しみながら家を自分達の好みに作り変えられるのも空き家の魅力かもしれない。 ○桜江町に住んでみて ジェイクさんと洋子さんは桜江町に来る前は京都の祇園という繁華街に住んでいた。 京都から引越し屋さんが桜江町に着いたとき、荷物をおろしながら、「本当にここでいいのですか?」とあまりの落差に驚いて洋子さんに聞いたほどだったという。 ジェイクさんは、「かわいそうに妻は都会からこんなところに連れて来られて・・」と笑うが、人間らしい生活を望む洋子さんも安くて広くて静かな田舎が気に入っている。ネットもできるので不便と思うことはないそうだ。むしろ都会にいた時の方がどこにいくにもお金がかかるし、時間がかかるしで不便に感じることが多いとのこと。 お二人に桜江町の印象を聞くと、「みんなが親切で住みやすい。」とのことだった。 ジェイクさんは、「土地や地域、自然を知る高齢者が多く、畑や土地、風習など様々なことを 聞ける人がいてとっても安心できて心地良い。」という。 「日本語がわからない夫に石見弁でトマトの 作り方を何度も説明してくれるおばあちゃんを見たとき、ここらの人は、外国人とか関係ないんだと思った。あれは凄くありがたかったなぁ。」と洋子さんが、桜江町の人っていいな!と 思った時のエピソードを教えてくれた。 遠くイギリスのウェールズ、京の都から桜江町に根付いた二人は、今日も豊かな自然と人情に囲まれた桜江町で人生を楽しく過ごしているに違いない。 |
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○東京からIターン桜江町の山の中に車で入ってしばらくいくと、長谷地区という山々に囲まれた地区がある。そこに2002年に東京からIターンしてこられた伊賀さとみさんが住んでいる。伊賀さんは北海道で育ち、東京で働いていたが、次第に田舎暮らしに憧れるようになった。本当は四国に行くつもりだったそうだが、その前の練習ということと安かったという理由もあって桜江町の田舎暮らしツアーに参加した。 そこで「桜江町に一目ぼれした」と伊賀さん。理由を聞くと、「ぽっこりした山が日本昔話のようでかわいらしくて。それに江の川が雄大でいいなと思ったの。それに赤い瓦屋根が田んぼの風景に点在してやわらかい風景だと思ったし、そこで暮らす人々もきっとやわらかいと思って。」と当時の印象を語ってくださった。(島根県石見地方では、石州瓦の産地でその特徴である赤茶色の瓦屋根が非常に多く、その統一された風景に驚く方が多い)。 風景に感動した伊賀さんは、「ここに住みたい!」と田舎暮らしツアーの交流会で神楽社中の方から空き家情報を聞き出し、直談判。ツアーから帰る1時間前に家を借りることになった。それから3ヵ月後には桜江町に引っ越したほど桜江町に惚れこんだそうだ。 ○桜江町での暮らし伊賀さんは、旦那さんであるマコ佐々木さんと共に桜江町にある観光宿泊施設風の国の横にあるギャラリーで仕事をしている。 マコ佐々木さんは、石州和紙の中でも勝地半紙という和紙の唯一の後継者である。 和紙の材料も山から自分でとってきて全て手作業で処理を行い、漉いた和紙で様々な作品を制作するアーティストだ。 和紙の他にも書や書画なども手掛けている。伊賀さんも風の国のギャラリーで紙漉を行い、ものづくりをしている。 芸術活動をしながら、田んぼで米をつくり、畑では野菜をつくり自然とともに暮らしている。虫の声や鳥の声、雨・風の音を聞くとほっとするという。美しい風景、草花や虫から気付く季節の移ろい、ゆるやかな時間の流れ・・今では桜江町から少し離れるだけで恋しくてたまらないほど桜江町の暮らしが大好きだそうだ。○家のこと 現在の住まいの家賃はなんと月5000円。格安なのは、もともと部屋の畳が腐っていたり、トイレや風呂、キッチンなど水周りに修理が必要な古い空き家だったからだ。 この家を借りた伊賀さんはネットや本を見ながら自ら格安リフォームを行った。伊賀さんの家は、外から見ると古い家に見えるけれど、中に入るととってもオシャレ!例えば、フローリング。リフォームに使った材料は、地元の業者に出向いて直接床材を購入し、もともと畳だった部屋を全てフローリングに張り替えた。暗かった土壁は自ら真っ白い漆喰を塗ることで明るくし、壁に凹凸をつけてオシャレに仕上げている。柱は柿渋と黒ベンガラで塗り替えた。これらの作業を4部屋行い20万円で仕上げたとのこと。部屋を仕切っていた襖も暗いので光を通す障子に替えたそうだ。これがオーダーになるため全部で13万くらいかかったとのこと。また、雰囲気をぐっと良くしているのが、天井と床に2人が作る和紙で包まれた電灯。これらが柔らかな光を放ち白い漆喰と障子が光を反射させて部屋を明るくする。もう片方の壁には和紙を貼り付けて面白い壁に仕上げている。手作りリフォームでこんなにもオシャレになるんだなと驚いた。流石にトイレやキッチンなどの水周りは自分達でできないため業者に依頼して作り直していただいたそうだ。トイレは汲み取りから浄化槽にしたため100万(補助金有)、キッチンと風呂で100万近くリフォーム費用をかけている。今では元が状態の悪かった空き家には全然見えないほどになっている。伊賀さんは、愛する旦那さんと可愛い愛猫と一緒にこの家で自然の音を聞き、感じながら日々を暮らしている。 ○田舎で暮らすということ 「東京からなぜ田舎にこようと思ったのですか?」と聞くと「若い時に楽しんだり、浪費したりするのはいいけど、『一生』を考えた時にどうかと思ったの。それと、良くない医者にあたった時にひざが悪くなってしまって家に3年もいることになって、その時に『生き方』を真剣に考えたの。このままの生き方でいいんだろうかって。」と伊賀さん。その後、良い医者にめぐり合い、ひざが完治した時に、『良い生き方』をしたいと強く思ってから田舎暮らしを考え始めたそうだ。田舎に来てとまどったところを聞いたところ、「皆が私を見ている!」ということに戸惑ったとのことだった。確かに、都会からこられた方はびっくりするかもしれない。「○○さんの家に見慣れない車があったが、ありゃ誰じゃ?」などなど、田舎では、近所の人は色々なことを見ているものだ。伊賀さんは、自分の生活に対して人が介入してくることに最初は戸惑いを覚えたそうだ。しかし、桜江町に暮らしてしばらくたった頃、自分も「○○さんの家にいつもある車がないけどどうしたんだろう?」と思っていることに気がついた時、「ああ!これは田舎では自然に思うことなんだ!」と気がついたそうだ。以前、伊賀さんが風邪で寝ていた時、近所の方からその話がまわりに広がって、「大丈夫か!?」と電話がかかってきたり、「大丈夫かー!」と人が家にやって来たりで「頼むから寝かしてよ〜」と思ったことがあったわと幸せそうに笑いながら話してくれた。人と人がつながりあい、人情に触れ、そこに幸福を感じたとき、田舎暮らしはずっと楽しくなるのだろう。 都会から田舎に来て暮らし始めてから感じたことというお話で『老後』のことがあった。伊賀さんが都会にいた頃は、60歳を越えると定年で旅行にいって買物にいってというのがいい老後というイメージがあったそうだが、桜江町に来たら80歳になっても90歳になっても家のことや地域のこと、農作業などで忙しい!忙しい!といっている方がたくさんいて、そういう年配の方たちの姿を見ていると、自分も80になっても90になっても忙しい!といっている自分になりたくなったそうだ。今では、自分が地域をもりたてることで地域を元気にしたい!地域の宝物になりたいと思うようになっているとのこと。東京からIターンした伊賀さんは見事に地域と自然に溶け込んで自らの生き方を見つけられたのではないかと感じた。 |
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平成18年11月、広島空港からバスを乗り継ぎ浜田自動車道旭インターで下車し、タクシーで桜江町へ向かいました。東京からは長い長い旅でした。ご夫妻は未だ見ぬ桜江町へ想いを馳せながら車窓の景色を眺めていました。晩秋の中国山地に点々と映える石州瓦と漆喰壁の家の風景の美しさにいつしか酔いしれていました。
江の川の雄大な流れと中国山地に抱かれた桜江町大貫地区に林業を志す青年とご家族がIターンして来られました。
江津から桜江町に向かって261号線を走ると桜江大橋の前にガソリンスタンドがある。
「ネットがなければ仕事もなかったし、ここにはこれなかった!」とジェイクさん。田舎だけど
見つけた物件は、土地の広さは40坪ほどで、
洋子さんも
「今の家は直さないといけないけど、それは直したらどうにかなる不満なので気に
お二人に桜江町の印象を聞くと、「みんなが
○東京からIターン
○桜江町での暮らし
芸術活動をしながら、田んぼで米をつくり、畑では野菜をつくり自然とともに暮らしている。虫の声や鳥の声、雨・風の音を聞くとほっとするという。美しい風景、草花や虫から気付く季節の移ろい、ゆるやかな時間の流れ・・今では桜江町から少し離れるだけで恋しくてたまらないほど桜江町の暮らしが大好きだそうだ。
この家を借りた伊賀さんはネットや本を見ながら自ら格安リフォームを行った。伊賀さんの家は、外から見ると古い家に見えるけれど、中に入るととってもオシャレ!例えば、フローリング。リフォームに使った材料は、地元の業者に出向いて直接床材を購入し、もともと畳だった部屋を全てフローリングに張り替えた。暗かった土壁は自ら真っ白い漆喰を塗ることで明るくし、壁に凹凸をつけてオシャレに仕上げている。柱は柿渋と黒ベンガラで塗り替えた。これらの作業を4部屋行い20万円で仕上げたとのこと。部屋を仕切っていた襖も暗いので光を通す障子に替えたそうだ。これがオーダーになるため全部で13万くらいかかったとのこと。また、雰囲気をぐっと良くしているのが、天井と床に2人が作る和紙で包まれた電灯。これらが柔らかな光を放ち白い漆喰と障子が光を反射させて部屋を明るくする。もう片方の壁には和紙を貼り付けて面白い壁に仕上げている。
「東京からなぜ田舎にこようと思ったのですか?」と聞くと「若い時に楽しんだり、浪費したりするのはいいけど、『一生』を考えた時にどうかと思ったの。それと、良くない医者にあたった時にひざが悪くなってしまって家に3年もいることになって、その時に『生き方』を真剣に考えたの。このままの生き方でいいんだろうかって。」と伊賀さん。その後、良い医者にめぐり合い、ひざが完治した時に、『良い生き方』をしたいと強く思ってから田舎暮らしを考え始めたそうだ。